広島仏壇の歴史
2019/06/04
浅野長晟(あさのながあきら)が、
400年前の1619年に
幕命(ばくめい)により
領地を紀州から広島に移し、
広島城を築城しました。
その際に追従した職人が
うるし塗りなどの高度な技術を持込み、
仏壇製造の技術を大きく飛躍させました。
江戸末期になると、
城下町に刀の鞘(さや)を塗る塗師(ぬし)、
錺金具師(かざりかなぐし)などが集結し、
それらの技術を生かした仏壇が
製品として作られるようになりました。
明治時代には瀬戸内海を利用した
海上交通により、京都、大阪方面に
大量に納入されるようになり、
大正時代には広島仏壇の生産量は
全国一となって、隆盛を極めました。
その後の戦争と原爆投下により、
仏壇の需要や職人の数は
大幅に減少しましたが、
生き残った技術者たちにより
徐々に復興されその結果、
昭和53年には経済産業大臣により
「伝統的工芸品」の指定を受けました。
しかし金仏壇の需要低下や
海外生産への移行により、
広島仏壇を取り巻く環境は
年々厳しさを増していますが、
今日でも広島仏壇の伝統技術は
次世代に受け継がれて、
金仏壇の製造や修復はもとより、
寺院の修復などに生かされています。
行政書士法人ライフでは、
お仏壇の移動や処分などの
ご相談も承っておりますので、
お気軽にご連絡下さい。
仏事コーディネーター 三村敏彦
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